2013年3月17日日曜日

両親への手紙

 中学の卒業式が終わり,その日の仕事を終えて家に戻ると,長女から私とつれあての手紙が届いていた.「両親へ」という書き出しで始まる手紙は,長男の時と同じだ.長男の手紙には「いろいろ心配かけて,迷惑かけた.これからもまたいろいろ心配かけると思うけど...」とあり,心配はこれで終わらないぞという宣告だった.

 長女の手紙には,片道1時間半あまりの通学(中高一貫校の私学に入学)に,初めは通うことだけで精一杯だったこと.遅刻しそうな時の母の車での送りや弁当作りへの感謝が述べられていた.父へは,くだらない話しと同じくらいいろいろなことを教えてくれたことに感謝するとあった.つれは「感謝の分量に差がある」と落胆していたが,私は彼女なりのつれへのいたわりを感じて,そこに成長を見る.

 あまり感情を表に出さないけれど,長女はそれを描くことに込める人だなとおもう.私が1月下旬からオーストラリアへ研修で不在のあいだに中学最後の大きなコンペに作品を出した.つれからPCあてに画像が送られて来たのを見た時に,“へーっ”と思った.まだ未完だとつれの文章にはあったが,表現者の道をいくんだなという感じがした.長男のときとは違う心配をこっそりすることになると思う.

 「それいゆ」でしごとをしていると,家族のなかで自分を承認される経験に乏しいメンバーと多く出会う.どのような自分であれ,存在が無条件に肯定されている人にとっては,そんなことを意識することすらないのだろうが,そうでなかった人にとって承認の有無は生死に関わる一大事に感じられる.自分を表現するとか,自分の考えを示すといった行為は,こうした当たり前すぎて意識化されない土台のうえに成り立つんだとつくづく思う.学校側が意図的に書かせる卒業時の親への手紙だが,にもかかわらず発見することは多い.自分の子どもの成長に感じ入る.と同時に,こうした手紙を書く機会なく(あるいは手渡せる親をもたずに)「それいゆ」へたどり着く彼女達の,「経験の不在」がもたらすものについて考える.

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